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大谷 義彦(おおたに よしひこ)

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文化財活用活動
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記事一覧

野付半島とトドワラ:自然と歴史が織りなす儚い絶景

北海道の東、知床半島と根室半島のちょうど間に広がる野付半島は、オホーツク海に細長く伸びる…

別海町の名前の由来、知っていますか?

北海道の町名には、アイヌ語に由来するものが多くあります。 その中でも、別海町の名前は地域…

【写真と映像で振り返る奥行臼 - 四季のイベントと風景】

今年の奥行臼を、季節ごとの写真とともに振り返ります。 奥行臼では、美しい自然や文化遺産、…

地域文化を紡ぐ秋の特別公開:旧奥行臼駅逓所で日本の伝統に触れる

令和6年11月3日、文化の日 旧奥行臼駅逓所にて「秋の特別公開」が開催され、当日は100名を超え…

別海町の忠犬チロ:主人を待ち続けた2日間

別海町で行われた殖民軌道フォーラムにて、奥行臼駅逓所のガイド加藤さんが話してくださったお…

「開拓使別海さけ缶詰」②—伝統を受け継ぐ缶詰所での加工、完成

1.厳選された鮭の加工プロセス 水揚げされたばかりの鮭は、別海漁協さん にて新鮮な状態で大…

「開拓使別海さけ缶詰」①—その歴史と製造過程

1.歴史の幕開け 明治時代、日本政府は北海道の開拓と経済発展を目的に「開拓使」を設置しました。その事業の一環として、豊富な資源を誇る別海町の沿岸で漁業が推進され、鮭は重要な産物として注目されました。開拓使は缶詰技術を導入し、保存食としての鮭の缶詰が製造されるようになります。これにより、鮭は市場に安定的に供給され、北海道産品の名声を広げる礎となりました。 別海町で製造された鮭缶詰は、国内市場のみならず海外輸出も行われ、世界に北海道の食文化を広めました。これが別海の漁業と加工

別海町の簡易軌道: 鉄道好き必見の秘境路線

北海道・別海町をかつて走っていた「殖民軌道」は、戦後に「簡易軌道」と改称され、地域の発展…

別海町の特産物を未来へ——曽根町長への缶詰完成報告

先日、私たち別海町の特産物を活かした新しい缶詰がついに完成し、曽根町長へご報告させていた…

野付半島ネイチャークラブ観察会レポート:アラハマワンドで秋を満喫

集合から出発まで 集合は野付半島ネイチャーセンターの1階。受付を済ませてから、ネイチャー…

別海町産マスタケを美味しく食べる!和風Vs.洋風!

「マスタケ」というきのこ、皆様はご存知ですか? 傘の肉の色が魚のマスの身の色によく似てい…

別海町の野生動物たち:エゾタヌキ

北海道の東端に位置する別海町。広大な牧草地と豊かな湿地帯が広がり、エゾシカやキタキツネ、…

アザラシたちと未来をつむぐ:観光と漁業

別海町の広大な海岸線、野付半島の厳しくも美しい風景の中で暮らすアザラシたち。彼らは、まる…

秋風と一緒にタイムスリップ!奥行臼散策デー

9月29日、爽やかな秋の風を感じながら奥行臼で「奥行臼散策デー」が開催されました。私もスタッフとして参加し、地域の皆さんや観光客と一緒に、昔の標津線の時代にタイムスリップしたような素敵な一日を過ごしました。 秋色に染まる奥行臼で歴史散策 別海町の奥行臼といえば、北海道開拓時代の歴史と深く結びついた場所。 特に今は廃線となった旧標津線の奥行臼駅跡は懐かしい雰囲気がいっぱいで、地域の文化遺産としてとても大切に守られています。 毎年恒例のこのイベントでは「別海音頭」や「野付小唄