別海町の名前の由来、知っていますか?
北海道の町名には、アイヌ語に由来するものが多くあります。
その中でも、別海町の名前は地域の自然や歴史を物語る特別なものです。
「別海」という名前に込められた意味を知ると、用紙への記入やイベント等参加の時に記入する文字「別海」がもっと身近に感じられるはずです。今回は、その由来と別海町の歴史についてわかりやすくご紹介します。
名前の由来は「折れ曲がった川」
別海町の名前の起源は、アイヌ語の「ペッカイエ(折れ曲がった川)」です。この「川」とは現在の西別川を指していると考えられています。広大な平野を蛇行しながら流れるこの川は、かつてのアイヌの人々にとって生活の中心でした。
アイヌ語では「ベツ(川)」や「カイエ(曲がった)」といった自然を表す言葉が多く使われます。別海の名前も、この地に根付いたアイヌの文化や自然の姿を反映しているのです。
歴史の中で変わる名前と町の姿
アイヌ文化期には、この地は自然と共存するアイヌの人々の暮らしの場でした。しかし、17世紀に松前藩が蝦夷地を支配すると、アイヌとの交易が行われるようになり、西別川周辺もその一部となりました。
特に18世紀後半には、松前藩の商人が漁場を開設し、ここで取れる秋鮭が江戸に送られるようになります。この鮭は質が高く、「献上鮭」として将軍家にも贈られるほどでした。
明治時代になると、開拓が進み、アイヌ語の地名「ぺッカイエ」は日本語に置き換えられ、「別海」という現在の漢字名が定着しました。この漢字には直接的な意味はありませんが、響きの美しさが地域の人々に受け入れられたのです。
自然と共存する町の発展
別海町の名前には、地域の自然と人々の生活のつながりが深く刻まれています。摩周湖に源を持ち、折れ曲がって流れる西別川は、鮭や鱒の産卵地として豊かな生態系を育み、地元の人々にとって大切な水源でした。
また、江戸時代には漁業が盛んに行われ、明治以降は酪農が進展。広大な土地を活用しながら、別海町は「酪農王国」として発展を遂げました。こうした自然と共存する町の姿は、名前の由来である「折れ曲がった川」を通じて受け継がれています。
普段何気なく書いている、見ている町名や地名にも、深い歴史や文化が込められています。次に別海町を訪れるときには、「別海」という名前の背景にある物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
西別川の流れを眺めながら、かつてアイヌの人々がこの地でどのように暮らしていたのか、どんな風景を見ていたのかを想像することで、この町がもっと特別に感じられるはずです。
オクユキウスクラブ
別海町地域おこし協力隊 文化財活用担当 大谷