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【ザックリ解説】別海村営軌道風蓮線とは?殖民軌道から簡易軌道へ

別海村営軌道風蓮線(べつかいそんえいきどうふうれんせん)は、地域の交通や物流を支えるために設置された鉄道システムであり、日常生活に深く根ざした存在でした。この軌道の歴史と現在の役割についてざっくりとご紹介します。

1.どんな軌道?

戦前に運行していた殖民軌道 (しょくみんきどう) が、戦後に簡易軌道 (かんいきどう) という呼び方に変わり、その一部区間を引き継いで1963年に誕生したのが別海村営軌道風蓮線です。

殖民軌道→簡易軌道→別海村営軌道風蓮線

殖民軌道時代、馬鉄と呼ばれ親しまれていました

2. 歴史の流れ

・はじめ
もともとは、厚床駅と中標津を結ぶために作られた馬力による殖民軌道で、開拓とともに路線が増えました。1933年に同じ区間を通る国鉄が開業したため、一部区間の運営を継続しました。(厚床から上風蓮)
・戦後の改良
戦後、時代の変化に合わせて機関車や自走客車が導入され、より効率的に運行できるようになりました。
・廃止
道路が整備され、自動車が普及すると、運行は短期間で廃止され、その役目を終えました。

停留所と自走客車

3.今の姿

現在は、当時使われた停留所や車輌などが残され、地域の大切な歴史として文化財に指定されています。これらの遺産は、昔の生活や技術の変遷を知る手がかりとして、多くの人に親しまれているほか、TVなどにも数多く取り上げられています。

自走客車や機関車はその希少性からファンも多く、この車両を一目見るために全国から鉄道ファンが訪れることもしばしばです。

釧路製作所製自走客車
加藤製作所製ディーゼル機関車

まとめ

別海村営軌道風蓮線は、昔の地域交通を支えた貴重な存在でした。戦後は内燃機関車が導入されるなど、時代とともに進化しながらも、道路や自動車の普及により廃止されました。今は、残された遺構がその歴史を静かに伝えています。

別海町地域おこし協力隊文化財担当として、イベントやSNSなどを通じてこういった貴重な別海町の文化財を紹介できればと思っていますので今後ともよろしくお願いします!!

お読みいただき、ありがとうございました!

okuyukiusu_club

別海町地域おこし協力隊文化財活用担当 大谷

※ 写真は別海町郷土資料館所蔵