開拓使別海さけ缶詰の復刻について!
突然ですが、皆さんは缶詰を食べますか?
昔に比べて今は缶詰を食べる機会は減ったかもしれません。でも、よく考えてみると、ツナの缶詰やコーンの缶詰、焼き鳥の缶詰に最近流行りの「おつまみ缶」など、昨今の災害時用保存食としての活用も相まって缶詰の市場も徐々に見直されてきていて、現在でも日本における市場規模は約1,500億円あるといわれています。(缶詰から派生したといわれているレトルト食品を含めると4,500億円以上あるといわれています)
そんな現在には欠かせない発明である缶詰技術は1804年、フランスで生まれました。それから約70年後の1877年、日本で最初の缶詰工場が北海道石狩にできたのです。
実はその1年後、日本で二番目にできた缶詰工場が稼働したのは、別海町でした。
別海町本別海にある町の歴史文化遺産「旧開拓使別海缶詰所」は、日本に缶詰の技術が持ち込まれた際に創業した工場のうちの一つで、現存する日本最古の缶詰工場の建造物の一部です。現在の世の中では必要不可欠な食品の加工技術の始まりの一部が、この日本でも最東端の別海町にあったことはあまり知られていません。
この地にこの工場が建てられた主な要因は、別海町で獲れる「西別鮭」の味の良さ、品質の良さが理由であり、この地域の鮭の品質が最上級であった証であるといえます。(江戸時代、徳川家斉の治世時より、将軍への献上鮭は西別産と決められているほど有名で天下一の鮭の名産地であったといえます)その意味で、この建物を保存し一般の方々に周知することは町の宣伝になり、住民の方々の誇りにもなることだと考えました。
そのうえで一般の方々への周知方法として効果的なものとして、開拓使時代に作られていた「西別鮭復刻缶詰」を製造することになりました。
このプロジェクトは私が赴任してきた2年前から郷土資料館の戸田主幹と話し合ってきたことです。たった一つの缶詰ですが、もちろん物作りする工程の大変さ以外でも缶詰工場さんの選定・交渉、漁協さんとの話し合い、復刻ラベルやマークの権利についての対策など、いろいろな方々や団体さんのご協力のもと、やっと出来上がりました。
一般的に鮭は脂がのっているからうまいと思われがちですが、西別の鮭は食べてみてわかりますが「旨味が違うなぁ」ってつくづく思います。
これが「将軍様」にも愛された理由なんですね。
11月3日(日)、旧奥行臼駅逓所で販売いたします。おひとり様3個までです。
奥行臼でのイベント時での販売や日本遺産関連の行事での販売などから始めますが、町内やいろいろなお店での販売などどんどん広めていきます。
ぜひ皆様にも味わっていただけるよういたしますので何卒よろしくお願いいたします。