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「開拓使別海さけ缶詰」①—その歴史と製造過程

1.歴史の幕開け

明治時代、日本政府は北海道の開拓と経済発展を目的に「開拓使」を設置しました。その事業の一環として、豊富な資源を誇る別海町の沿岸で漁業が推進され、鮭は重要な産物として注目されました。開拓使は缶詰技術を導入し、保存食としての鮭の缶詰が製造されるようになります。これにより、鮭は市場に安定的に供給され、北海道産品の名声を広げる礎となりました。

別海町で製造された鮭缶詰は、国内市場のみならず海外輸出も行われ、世界に北海道の食文化を広めました。これが別海の漁業と加工産業の成長を支え、地域経済の基盤となったのです。

このたび発売した「開拓使別海さけ缶詰」は、こういった別海町の歴史文化を現在に伝えるべく、当時のままのラベル、原料を使い、多くの方々の協力を得て製造されました。

将軍家にも献上された西別献上鮭

2.早朝の漁の風景

9月初旬、鮭漁の解禁とともに定置網を漁場に仕掛ける「網入れ」が行われます。根室湾に突き出た細長い半島「走古丹」の漁師さんたちは、まだ日が昇る前の静寂の中で漁に出ます。夜明け前の海は冷たく澄んでおり、薄暗い中で漁の準備が始まります。静かな海をモーター音が響き、そこには長い経験を積んだ漁師たちの技と忍耐が感じられます。

夜明け前の海

3.鮭の水揚げ

「網入れ」後、数日ごとに「網おこし」が行われ、定置網に入った鮭が漁獲されます。漁場に到着した船上には緊張感が漂い、網を引く手に力がこもります。

銀色に輝く鮭が次々と網から取り出され、船倉に入れられる様子は壮観です。漁師さんたちの手際の良さは見事で、重い網やロープを素早く処理する姿には、代々受け継がれる技術と誇りが感じられます。

こうして水揚げされた鮭は、帰港後すぐに選別され、氷水へと入れたのち、せりにかけられます。この迅速なプロセスは、鮮度を保ち、品質の高い製品を生み出すために欠かせません。

次回予告:

パート2では、缶詰製造の詳細なプロセスや、現代に至るまでの進化について解説します。加工現場の情景や、伝統を守り続ける職人たちにも迫ります。

別海町地域おこし協力隊 文化財活用担当 大谷
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